学校周辺のようす
 ~棚倉小学校の地域のご紹介~
ヨハネス・デレーケと砂防
 来日後30年間も日本に滞在し、淀川水系をはじめ、木曽三川、利根川、常願寺川や各地の港湾などの改修にだずさわり、大きな功績を残しました。
 天保13年(1842)オランダのゼーラント州コリンスプラートで生まれる。
 明治 6年(1873)来日し、9人のオランダ人技師とともに全国各地の治山・治水工事に従事する。
 明治11年(1878)~山城町の砂防事業に関わる。
 明治36年(1903)オランダに帰国。日本政府から勲二等瑞宝章を贈られる    
 大正 3年(1913)母国で亡くなる。70歳
 木津川市観光情報>不動川砂防歴史公園


天井川
 山城町には、鳴子川、不動川、天神川、渋川の4つの天井川があります。天井川とは家屋の天井の高さに川底がある川のことです。山城町では、この川の下をJRや国道が通っています。ですから、山城町東側のはげ山とあいまって、大水害が過去に何度も起こりました。そのため、明治政府が招聘したオランダ人技師デレーケは、はげ山の植林、土砂の流出を防ぐ砂防堰堤に力を入れたのです。
  昭和28年の南山城大水害のときには大きな被害がありましたが、今も当時の堰堤が残っています。
 京都府>山城の災害記録(昭和28年)

涌出宮(わきでのみや)
【いごもり祭り】
 和伎座天乃夫岐売(わきにいますあめのふきめ)神社は一般に涌出宮(わきでのみや)と呼ばれています。称徳天皇の時代766年に御祭神を伊勢の国からここへ移したときに、一夜にして森が湧き出たのでこの名前がついたと言われています。一年を通じて様々な神事が行われていますが、その中でもいごもり祭は古くからあるお祭りで、奇祭として知られています。また、神事全体が国の重要無形民族文化財に指定されています。
 木津川市観光情報>涌出宮(和伎座天乃夫岐売神社) 
 木津川市観光情報>涌出宮の居籠祭   



0
0
0
蟹満寺(かにまんじ)
【蟹満寺縁起話(かにまんじえんぎばなし)】
 山城国久世郡にひとりの女がいました。7歳の時から法華観音を深く信仰していました。ある日、蟹を捕らえた人に請うて、蟹を川に放してやりました。またある日、その女が田畑を耕していると、蛇が蛙をのもうとしていたので、思わずその蛇に「おまえを婿にしよう。」と呼びかけると、その蛇は蛙を吐き捨てて去っていきました。その夜、立派な男に化けた蛇がやってきたので、女は3日後に来てくれるように頼んで帰ってもらいました。三日後、その蛇がやってくると、女は厚い板で作った倉に閉じこもっているので蛇は大変怒り、元の姿に戻って倉を巻いて囲み、尾でたたきました。女の両親はただおそれるばかりで、何もできずその音を聞いているだけでした。夜半になってその音がしなくなり、夜明けに外へ出てみると千万の蟹が集まって蛇をやっつけていたのです。倉の中から出てきた女は、「私が終始観音経を唱えていると、観音様がおいでになり、怖がらずに観音の呪文を唱えなさいとおっしゃったのです。」と言いました。蛇の死体を埋め、蛇の苦と蟹の罪を救うため、この地に寺を建て仏像を造り、お経を写して供養しました。その寺は蟹満多寺と名付けられて今もある。(『今昔物語集 蟹満寺縁起話』より)
 木津川市観光情報>蟹満寺   
 木津川市観光ガイド>蟹満寺